ジョー小泉のひとりごと

切磋琢磨 #1

以前、WOWOWファンクラブのコラム「倒れたら立ち上れ」に「切磋琢磨」という書道短編小説を書いたことがあったが、この四字熟語が結構好きで、自分の中ではよく使う。というのは、自分の中で怠ける自分と頑張る自分が学友のように互いに切磋琢磨しながら何かを目指す、というイメージをよく描くからだ。

色紙の練習紙(色紙を無駄にしないために、色紙大の練習用紙がある)に、いま水墨画で習っている蘭の花とその切磋琢磨を組み合わせて試作品をつくってみた。

字がよくないのは、五体字類(体は旧字だが、体で代用)という過去の名蹟から採ったサンプルから、切、磋、琢、磨と手本を見ながら書くので、リズムが途切れる。これを書道では「気脈の貫通」といって筆の運びの滑らかな流れを意味するが、拙作ではそれが欠けている。

切磋と琢磨が不ぞろいで、太さ、大きさが違う。すぐ色紙(練習紙)に書くのではなく、半紙でまず大きく書き、徐々に実際に書く大きさに縮小していくべきであった。

余談になるが、巧みなアーチストは拡大、縮小の独特な技能があるように思う。自分はそれが未熟だ。才能がないのかもしれない。

「切磋琢磨」を書いた第二の作品があるが、それはこの次にしよう。

書くことといえば、書道か水墨画のことが多い。
なぜ? 
ボクシングのことは企業秘密、守秘義務にかかわることばかりだから。
(7−27−2017)


私の蘭亭序 #2

仕事の合間、毎日少しずつ字の練習を続ける。
腕の上達とともに鑑賞眼も進歩する。

昨年、自分なりによく書けたと思っていた作品が
いま見直すと拙く見える。

スキルは上がっているのに、眼はその上達を認めない。
だから、芸術というものは奥が深い。
自分のような低水準のアートであってもーー。
(7−26−2017)


ダブル世界戦 英文レポート

私の世界戦英文レポートの方法は
会場でショートレポートを世界へ発信
翌日
フルレポートをテープを見たりして
細部確認のうえ書きます。


田口戦
http://fightnews.com/full-report-taguchi-barrera/1619


京口戦
http://fightnews.com/kyoguchi-makes-history-world-title-win/1593


FIGHTNEWSは
世界的にフォロアーが多く
自分が書いたレポートの影響力が非常に大きいことは
自覚しています。

(7−25−2017)


私の蘭亭序

ときどき書聖、王羲之(4世紀)の名蹟「蘭亭序」を書きたくなる。
それは原点回帰への欲求だろう。

何度書いても、王羲之の巧みさを再認識させられる。
(7−24−2017)


青色の墨

探せばあるものだ。東京の書道店でなかったものを出張先の中国書道用具輸入店で見つけた。

それは青色の墨だ。書道を習ってから十余年、小筆で日記を書いてから寝る習慣がついた。
それは今日を生き延びた証しを残すことで、良い習慣だと思う。

たとえよいならわしでも毎日続けていると飽きることがある。
そこで習慣に彩(いろどり)をつけるため、祝日は黒い墨でなく他の色の墨で日記を書いてみよう、と思いついた。

何色? 
色あざやかな青の墨がないものか。
都内の有名な某店で「青墨」と名付けられた墨汁を求め、これを使ってみると、やや青みがついているがほぼ黒色で求めるものではない。

人生でなかなか思うものが手に入らないことがある。
これもそれか、と思っていたら、出張先でまさに求めるそのものに出遭った。

それは六色の「彩色墨」で本来、水墨画用の墨だろう。
最近、水墨画を習いはじめたが、色は水彩画の絵の具のようなチューブに入った液体状のものを塗る。こんな固形の墨ではない。

しばらくその彩色墨を卓上に置いたまま眺めていたが、やっとそれを使い日記を書く気分になった。

それが七月十七日の日記だ。この日は祭日(海の日)で、久しぶりに終日本を読んだ。
数時間読書をして散歩。また読んで散歩の繰り返し。

新書を二冊。文庫本を半分。
十月末からコロンビアのメデジンでWBA総会が開催されるので、それに出席する前に予習を始めたーー三ヵ月も前から。

コロンビアに限らず、中南米にかかわる有名な短編小説を読み、地球の歩き方も早めに予習したい。

前衛的作家フリオ・コルタサル(アルゼンチン)の「悪魔の涎」を再読し、巻末の解説により二十歳のころ神戸の三宮、阪急の映画館で見た「欲望」という奇妙な映画のことを想い出した。
あのわけの分からない映画の原作だったのだ、これは。

「悪魔の涎」は一九五九年に短編集として刊行され、それはパスカル・ペレスが一年間に四試合すべてを日本で戦った年だ。米倉健志、矢尾板貞雄と各二度たたかい三勝一敗の軌跡を残して去った。

「悪魔の涎」の中に次の文章がある。
「少年は、戦意をなくし相手の決定的なパンチを待っているボクサーのようにうつむいていた」

コルタサルはボクシングファンだったのかもしれない。
あるいは、ペレスはアルゼンチンの英雄だったので、一国民として必然的にボクシングを見る機会があったのかもしれない。

日記を書き、その日を象徴する出来事に朱色の傍線を引く。
日記を読み返すとき、あれをしたのは、読んだのはこの日だったのだ、とすぐ検索できる。

色で識別することをもっと考えてみよう。工夫してみよう――生活のなかで。
そうすると、日記書きが生き返ったように、中断している習慣が蘇生するかもしれない。
アンダーラインの色を本の分野により変えるとか、ノートにメモする色を変えるとか・・・。

青色墨
難解なコルタサル読み返し
肩こるたさる
(7−22−2017)


呑気 のんびり ノー天気

いま心がけていることは恒常性(ホメオスタシス)の維持で、規則正しく生活することだ。

まずよく寝ることで、1日8時間は寝て、週に56時間。
さらに週に4度は昼寝をするので、プラス4時間として、週に60時間は眠るようにしている。

それは眼精疲労を取ったうえで次の日を迎えるためで、眼が疲れたら寝る。眼を酷使した日は早めに寝て、いつもより長く眠る。

朝、朝食前に1時間、水泳か散歩兼ジョッギングをして、午後は30分ずつ2度、眼の疲れを取るため散歩をして緑の遠景を眺める。
眼精疲労を蓄積しない生活をし始めて長く、徐々に視力が回復、向上している。

この前、雨の日の朝、家内が車を使う用があったので、プールまで送り、帰りの時間を決めて迎えに来てもらった。迎えを待つ間、血圧を測定してみた。

上 113
下 76
脈拍 71

泳いだ直後なので脈拍がやや高いが、普通は60を切っている。運動を継続しているので、やや血圧が低く、それはいいことだ、と医者に褒められた。

毎日、2時間運動をし、柔軟体操をして血行をよくする。結構だ。激しい運動がもうできないので、ゆっくりソフトトレーニングを長くし、そのあと肉体疲労を貯めないようしている。

何のためにそんなに規則正しい生活を目指すのか?

長く本を読み続けるため。
長生きして、書画を向上させるため。
自分の体を実験台として、いろんな体の機能のコツを試すため。視力の向上、維持がその一例。

うちは長生きの家系で、母の3姉妹は
長女 96歳
次女(母) 93歳
三女 89歳(この叔母が元気)

みんな運動習慣を持ち、健啖だ。そして楽天的。
長生きしたければ、細かいことにくよくよしないことで、トラブルから遠ざかる生活がのぞましい。

呑気、のんびり、ノー天気。

これを呪文のように唱えると、楽天的になり、熟睡できる(私の場合)。
(7−8−2017)


わが拙作

水墨画教室――といっても私を含め5名(家内は休み)だったが――で、
みんな絵を画いているのに、私だけ画仙紙の上半分に漢詩を書いていた。

字の大きさ、配置、落款を押す位置を先生に確認し、
杜甫の漢詩「絶句」を下書きした上で清書した。


江碧鳥愈白(こう みどりにして とりいよいよしろく)
山青花欲然(やま あおくして はなもえんとほっす)
今春看又過(こんしゅん みすみすまたすぐ)
何日是帰年(いずれのひか これきねんならん)

川は緑に映えて鳥はいよいよ白く、
山は青く花は燃えるようだ
今年の春もまた、見る間に過ぎていく
いつになったら、故郷に帰れることか


<向上すべき点>
1.漢詩全体がやや小さい
2.落款の位置、もう少し上
3.蘭の花の絵がまだ拙い

要するに、まだまだということらしい。
これから、これから。
(6−30−2017)


水墨画、修行中

4月から水墨画を習い始めた。
夢は書と画を融合させた自分の作品を書くことだ――富岡鉄斎、蘇軾のように。

書道を習い始めて十余年。
書と画ともに両立させ上達するのはあと数十年かかる。
そのためには、節制して定期的に学び習うことだ。

いま非常に未熟であることが、節制、ひいては健康の源になる。
(6−24−2017)


ある日の日記

25日、町田で試合をするタイ人一行の出迎えに成田空港へ行き、
車中、PCの受信トレイの整理をし終えると、空き領域が大分増えた。
(6−23−2017)


緋色の研究

一日が終わり、寝る前に筆で日記を書く。
書き終わると、隅(すみ)に印を押す。

今日を生き延びたしるしだ。
I could survive today.

その印の緋色に凝りだした。
印肉(書道では印泥という)の色加減がおのおの微妙に違う。

今日生き延びて、昨日とは違う緋色の印を押して色を眺める。
つまり、「緋色の研究」だ。
(5−28−2017)