ジョー小泉のひとりごと

チョスイリョウを求めて

10日間の連休中、8日は水泳し、
10日間、つまり毎日、書道をした。

書道に出遭えて本当に幸運だったと思う。

書聖といわれる王羲之、顔真卿を臨書し
明らかに日々、自分の字が良くなっていることを実感する。

毎日、少しずつ持続することの凄さを実感する。

顔真卿ばかり書いている自分が、
この連休中、「書を語る 1〜3」(二玄社)を読み、
急にチョスイリョウを書きたくなった。

チョスイリョウの楷書
それは何と清新なものか

当分、チョスイリョウを書こうと思う。
(5−12−2019)


令和元年

5月1日、「令和」という字を
半紙および色紙に
計22枚書き
それをボクシングファンクラブ、および速報メール会員諸氏に送った。

その中の一部を
ここに掲示します。

書きなれたところで
もっと太い筆で
より大きな色紙に
令和と書いておこうと思う。

日本晴れの日、
好きな書道をして時を過ごす。
また楽しからずや。
(5−3−2019)


学をなすに三要あり

伊藤東涯のことば

学をなすに三要あり
志なり
勤なり
好なり

これを色紙を書くときの定番のひとつとし
何度も練習し
習熟しようと思う。

私のような拙い字でも
百回、千回書けば
ちょっとはましな字が書けるようになるだろう。
要は繰り返しだ。
(4−21−2019)


顔真卿 書いても書いても

顔真卿
書いても書いても
遠ざかる

北京の琉璃廠(リウリチャン)という書道街で
顔真卿の
美麗な教本を求めてきた。
生涯臨書すべき教本。

中国には
さずがに立派な印刷の教本がある。
(4−16−2019)


今日もまた顔真卿の臨書

顔真卿の「祭姪文稿」を臨書しては掛け軸にしている。
最新の掛け軸ができあがり、昨日受け取りに行った。

顔真卿
書けども書けども
遠ざかる

(注)何度も顔真卿を臨書するが、書くたびに鑑賞眼が磨かれ、自分の作品が拙く見えてくる。
書けば書くほど目標から遠ざかるという皮肉な有様を謳った。
(4−7−2019)


飛沫立て

身体を動かすと、言葉が出てくる。
詩が、俳句が、川柳が、和歌が生まれる。

最近の拙作。

飛沫立て
水かく時や
暇つぶし
(注)「ひまつ」と「ひまつ」ぶしを掛けている。

<和歌バージョン>
飛沫立て
水かく時や
暇つぶし
腹減りて食う
ひつまぶし
(注)飛沫+暇つぶし+ひつまぶし

そして、紙に筆で書く。
落款印を押す。
また楽しからずや。

「飛」の右上の点を飛沫の点のように落筆したかったが、どうもうまく決まらない。
そこで「飛」一字で、その飛沫の「点」を書き直してみた。
出来はいまひとつ・・・。
(3−25−2019)


川柳@プール

毎日、2時間は身体を動かすようにしている。

ほぼ毎日、朝食前にプールで泳ぐ。また楽しからずや。
午後は仕事の合間に眼精疲労を取るため1時間は歩く。

毎朝、プールの帰り、素人川柳を入れる箱があり、そこに駄句を入れえて帰るのがまた楽しい。

それが体育館の階段に貼られている。それを見るのがまた楽しい。

拙作を披露しよう。自由なペンネーム可なので、いろんな名前で詠んだ。

健康や 自分で作る ひと泳ぎ (義弘)

水かけば 笛が鳴るなり 五十五分 (イーサンハント)
 (注)これは、柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺、のパロディ。毎時55分になると、笛が鳴り、水質検査がある。

今日もまた ひと泳ぎして スタンプひとつ (クラム)
 (注)クラムは「城」の中の城主の名前。

今日もまた 来てよかった 爽快感 (ザムザ)
 (注)これは、若山牧水の「けふもまた こころの鉦(かね)を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く」のパロディ。ザムザはカフカの「変身」主人公、グレゴール・ザムザからとった。

久しぶり かわす会釈や 水しぶき (ヨーゼフK)
 (注)ヨーゼフKは「審判」の主人公。

寒き朝 自転車こぐや 体育館へ (カフカ)
 (注)体育館への「へ」はドイツ語の nach である。
(3−13−2019)


フットワークの軽さ

2月26日、サルダールと谷口の世界戦が終わり、オフィシャル(レフェリー、ジャッジ)と会食して帰宅したのが12時。
6時には起き、名古屋へ飛び出した。

3月16日、田中、田口の世界戦のアンダーカードに中国人選手を組んでいて、ビザ書類について名古屋入国管理事務所から畑中会長に質問が来たため、それを補助するため新幹線に乗った。

<16日、私が組んでいるカード>
メイン: 田中―田口戦
セミ: 畑中建人、WBCユース防衛戦
アンダーカード: 竹島、田中裕士、水野戦(竹島、田中の相手が中国人)

あおなみ線(JRではない)の名古屋競馬場(名古屋から13分;駅の真ん前に大きな入管事務所がある)で、10時半、畑中会長と待ち合わせた。

説明を終えて、名古屋駅に戻ったのが12時。
東京着が2時前。
帰宅、3時前。
それから事務所へ出かけた。

昔のフットワークが戻ってきた。
最近、どうも以前のフットワークの軽さを忘れていた。

なぜ?
自宅で辞書を引きながら、本を読み、書き込みをするから。
そして、墨をすり、筆を執り、書道をするから。

夜、習字をしているとき、今日名古屋まで日帰りで往復したのが夢かまぼろしのように遠く感じた。
(2−27−2019)


熱きたたかい

わが書道の流派は、「近代詩文書」あるいは「調和体」と呼ばれる「漢字かなまじり文」を主とする新興勢力である。

たまたま後楽園ホールでお会いし、以後、師事することになった徳村旭厳先生がその流派に属していたため、弟子の私も追随しているが、最近になってその方向性が理解できてきた。

漢字のみ、かなオンリーでなく、「漢字かな交じり文」というのは、日本の書道愛好家にとり活路を開くように思う。

中国に「三絶」という言葉あり。
詠: うたを詠む
書: 字を書く
画: 絵を画く

もし、これに篆刻が入れば
篆: 印を彫る
が加わり、「四絶」になる.

意味も完璧に理解できぬ漢文を書くより、日本の和歌、俳句を書くというのは理にかなっている。

自詠: みずからうたを詠む
自書: みずから字を書く
自画: みずから絵を画く

これはひとつのアートの方向だ、と思う。
その試作品が別添の通りである。

熱きたたかい
観しかへりみち
珈琲香る (拙句)

それを書き、帰り道の路傍の草の絵を添えた。
(2−27−2019)


顔真卿は王羲之を超えていない

今回の顔真卿展の副題は
「王義之を超えた顔真卿」なのだが、
顔真卿は決して王羲之を超えてはいない、
と思う。

私の見方はこうだ。

あまりにも形骸化した手本、テキストブックたる
王義之を乗り越えようとした
(当時として)前衛的な書家が
顔真卿だ、と思う。

なぜ、顔真卿はあれほどまでに
非・王羲之的な
字を書けたのか?

それは、顔真卿の家系が
代々、能書(筆上手)の係累だったからだろう。

天才とは、いかに既成のセオリーをより早く卒業できるかだ。

凡才は一生かかってこれまでの水準に追いつくのがやっとで
追いついたときに一生が終わる。

ところが、天賦の才を持った鬼才
顔真卿は既成のセオリーをいち早く卒業し、
さらに自己の創造を成し遂げた。

それが「顔流」だ。

革新は、既成を棄て、何かを創造しなければならない。
顔真卿は王羲之を乗り越えようとして、
王義之の「優美さ」を棄て、
新たに「剛直」という概念で書法を再構築した。

顔真卿は王羲之とは別の方向を取ったが、
決して王羲之を超克したわけではない。
顔真卿は決して王羲之を超えていない
(2−24−2019)