ジョー小泉のひとりごと

最澄の「久隔帖」臨書

昨日、ゴロフキン、ロマゴンの解説のあと、六本木の国立新美術館へ創玄展を見にいった。
家内が車でWOWOWに迎えに来て、私は辰巳から六本木まで後で寝ていた。
4時間も集中して画面を観て解説すると神経が疲れる。

わが書道の師、徳村旭厳先生の作品を見るためだ。美術館に着くと、ずいぶん人が並んでいる。
こんなに行列ができるほど見る人が多いのか、と思ったら、草間彌生というアーチストの展示会が隣で開催されており、そちらの方の客だった。

先生の大作を見て、さらに他の書道家の作品を眺めた。
「こんな手の込んだ作品を創るのは大変だろうな」と感心し、自分が素人の愛好家であることに一種の安堵を覚えた。

もし私が書道の教員免状を取るとすると、いろんな過去の名跡を臨書せねばならないのだろうが、私は自分が好きなものしか書かない。趣味、道楽だからだ。

何が好きか?
王羲之、顔真卿、空海、高野切一種・・・
そして最澄だ。

天台宗の開祖、最澄がこんな透き通ったような立派な筆跡を残していたことに驚き、それを知らなかった自分を恥じた。

最澄は王羲之をよく学んだのだろう。

そして、私は空海の「風信帖」を、最澄の「久隔帖」を学ぶ。
わが拙き臨書を添える。
(3−20−2017)


私の習練法

先生に直されたところを、繰り返し練習する。

直されたところは、いわば悪い癖が出るところで、もし我流で百回書いたら、百回とも同じようにその悪い癖が出るはずだ。

師につき物事を習う、というのは素直に助言を容れ、自分を矯正することで、それが「師事」するということだ、と思う。

進歩というのは、良いところを伸ばし、その一方で悪いところを矯正することである。

私のような拙い書道愛好家は毎日、地道に自分を矯正していかないといけない。
それは他の分野、他の対象にも通じる。

昨日より今日。ちょっとだけどこか進歩。
(3−14−2017)


空海の「風信帖」臨書

拙作であるが、表装しわが進歩博物館の玄関に掲げている。
明日の私はこれを超える。
(3−12−2017)


進歩博物館 その2 初心

わが進歩博物館の壁には「初心」という字の掛け軸がかかっている。
これはわが師、徳村旭厳先生の師、故田岡正堂先生に揮毫いただいた書で、自分にとり信条である。

初心を忘れるな。
ボクシングが好きになった子供の頃の心を忘れるな。
よりよい英語で日本人選手の活躍を世界に報道する使命を忘れるな。

故田岡先生(文化勲章を受けた金子鴎亭師に師事)が展示会で色紙に書くところを見せていただいたことがある。

「うまいな。とてもかなわないな」と驚嘆するほど筆と体が一体化していた。

私は展覧会に作品を出す気はなく、ただ自分の日記をよりきれいな字で書くために書道をしている。
墨で紙に字を書くこと自体に愉しみを求め、それで充分だと思っている。
(3−10−2017)


進歩博物館 #1

昨日掲載の「試作品 寒山拾得」にはミスがある。
最初の「唐」の字のがんだれの中の旁(つくり)が「書」になっている。いわば、自分の造字だ。修正しない。このミスがおかしいからだ。いかに自分で手書きすることにこだわっているかの例証だから。

今日2月28日は特別な日。
(1) 家内が私の蔵書の増殖を見かねて三架も本箱を一挙に買ってくれ、それが今日届いた。
(2) 拙作(空海の風信帖)を表装に出していたが、それが掛け軸として出来上がり送られてきた。

我が家は私が約十年前から書道を始め、徐々に進歩してきた軌跡を表示する博物館になっている。
名付けて、「進歩博物館」。
今後、いろんなことの進歩を表示する博物館となる。
たとえば、水墨画。
たとえば、語学。

毎日努力し続けることが人間をどう変えるか、それを自分だけの博物館に展示している。
頑張れ、自分!
(2−28−2017)


試作品 寒山拾得

森鴎外の「寒山拾得」で手書き原稿で本を創る試運転、
つまり試作をしてみた。

次はよく思索してから自分の詩作を手書きして試作する。
(2−27−2017)


人は一生に何字手で書けるのだろう

先週の日曜、原稿用紙を取り出し、手で書いてみた。

随筆で始まり、途中フィクションを入れ、また随筆に戻る計画だったが、小説に飛翔しきれず単なるエッセイで終わってしまった。

これならそのまま日本躾の会(ときに寄稿させていただく)に出せるような思い出話だが、それは意図するものではない。

しばらく原稿を寝かせてみよう。その間に、フィクションが動き出すかもしれない。

最初、鉛筆で原稿を書き、ときに消しゴムで直したが、手で書くというのは実にいい。
次に書き直すときには、万年筆を使ってやはり手で書こう。

そして、最後には和紙に細い筆で書いて仕上げる。
世界でただひとつの和綴じの本を創ってみよう、と考えている。
それは、創作であり、かつ書道作品でもある、自分だけの本だ。

そのためにはもっとずっと字が上手くなりたい。
そのためには毎日、毎日、王羲之や顔真卿を書き続けることだ。

人は一生に何字手で書けるのだろう?
(2−26−2017)


十年間の日記

毛筆で日記を書き始めてからちょうど十年を経た。

何のために日記を、毛筆で書き続けているのだろう。

日記というのは、生きた証(あか)しである。
日が昇り、日が沈む一日という時間単位ごとに生きた軌跡を綴るーーそれが日記を書くことだ。

筆で書くのは便法にすぎない。
万年筆で書こうと、ボールペンで書こうと、自分で綴ることに変わりはない。

ただし、毛筆で書くという行為には書き始める前に準備を要する。
それは墨を磨ることであり、あるいは墨汁を硯に垂らすことである。
その短い間に、一日を振り返り、これから書くことを取捨選択する。

書き終わり、印を押す。
その日記は自分に取りひとつの作品である。
いや、一日を生きたこと自体が作品なのかもしれない。

今年から次の十年の日記をまた積み重ねよう。
(2−19−2017)


率意の書

率意(あるいは卒意)という言葉に出遭った。

気負いなく、心のままであることで、
たとえば「率意の書」というと、
人に見せるという意図なく心のままに書いた作品
という意味だ。

一日一時間(これを限度とする)以内で
顔真卿の「祭姪文稿」ばかり書いている。

空海も一時期、顔真卿をよく学んだという。
顔真卿の行書には学ぶものを魅了する独特な味がある。
(2−18−2017)


水墨画と水泳

今年初めから水墨画を習いに行き始めた。月に二度、家内と一緒に教室に通っている。

最初の課題は牡丹(ぼたん)だったが、上手く描けない。先生から「まるでひまわりのようですね」と言われた。「奥さんの方が上手ですね」とも。

考えてみると、子供の頃からあまり花というものに興味がなく、牡丹といわれてもイメージがわかない。帰宅後、家内から牡丹の写真を見せられ、それをスマホで撮影し、次回のために記憶に焼き付けた。

以前から水墨画を習いたかったが、独学で始めて妙な癖がつくのはよくないと思い、ずっと我慢していた。中途半端に始めると書道とどっちつかずになるかもしれない、と危惧したせいもある。

書道の方はもう毎日書く習慣が身についた。だから、水墨画を習うべき時が来た、と思っている。

目標は富岡鉄斎だ。鉄斎のように字も書け、絵も描け、漢詩も作れるようでないと文人墨客とはいえない。それを目指している。

水墨画を始めたのと機を同じくして水泳に通うのがより規則的になってきた。一年は約五十週で週に二回以上、毎年百回以上はプールに通っている。それが一日おきを守っているから、多分百五十回程度はいくのではないか。

多分、水墨画の練習を週に二度すると決めたのと並行して、水泳も規則化する潜在的なリズムが生まれてきたように思う。

水墨画も水泳もともに水に関係がある。ともに自発的にしなければいけない。
みずからするから、水仲間だ。
(2−15−2017)