ジョー小泉のひとりごと

私の「蘭亭序」

毎日、毎日、少しずつ努力し積み重ねていけば向上する。

書道でも、語学でもーー。

それを実証していくのが生きる喜び。

生きるというのはつねに自分との闘い。

(1−16−2018)


文房渉猟 #6  硯の迷宮

硯(すずり)の話をしだすと長くなる。
あれは数年前、神戸の北野町の中華料理店でのことだ。私はマッチメークの仕事、家内は自分の母親の見舞いで、三ノ宮で合流し東天閣まで歩いた。坂をもっと上がると異人館があるが、その途中にある老舗の店だ。

そこで言った。
「神戸は華僑の住む街で、その子孫たちは先代、先々代の文房四宝の価値が分からずに処分し、骨董店に結構いい品物があるかもしれない」と。

その昼食後、近くにある骨董店で訊いたところ、「うちにはないけれど、あそこの店なら硯なんか書道の道具置いてあるかも・・・」と別の店を紹介された。

やはりあった。中国、台湾からの旅行者もときに買いに来るという。なかなか良い品物があり、硯を二面求めた。それを持って帰ればいいのに、重いものを持って移動するのを厭(いと)い宅配便で送った。

粒状のエアの緩衝材で厚く梱包してもらったが、自宅に届いたとき、一方が割れていた。宅配便会社に報告すると、「同等の値段の品物で領収書があれば、その分弁償します」と言われた。

ひと月後、また関西へ出張した折り、その骨董店に寄り、同価格の硯を求め、それは弁償用とし、別に傍らにあったかなり高価な硯も購入した。端渓の硯で、この前見たとき非常に良い品のような雰囲気を感じた。今度は重くても自分の手で持ち帰った。

その高い方の硯は逸品だった。墨を磨るとまるで大根おろしのようにサクサクと墨がおりる。これまで使ってきた硯とまったく違う。それで磨った墨は粒子が細かく色がいいような感じがした。

それ以降、他にもこんな良い硯がないか、と機会があるたびに硯の収集を増やしていった。数年間で三十二の硯が集まったが、それを増やしていくのにずいぶん選ぶ時間と金をかけた。北京の有名店、栄宝斎まで足をのばしたことさえある。わがコレクションの中で特別良い硯は二つだけだ。他のも悪くはないが、まあ並みの品だ。

あるとき、書道店に寄って他の品物を求めたとき、つい衝動的にまた新しい硯を買ってしまった。「こんなことをしていると、家中、硯だらけになる」と、自分の自制力のなさに怖さを覚えた。

そこで、自分の衝動買いにくさびを打つため、文房四宝、特に硯を主題とした本をAMAZONに十冊注文した。「すべて読み切り、文房四宝の知識をもっと身につけるまで硯を増やすのは一時やめよう」と自分自身に言い聞かせた。

この方法は結構有効で、その十冊を読み終わる頃には、わが硯収集熱がちょっと冷めだしていた。収集対象として難しいのは、硯は見ただけでは良否が判じえず、結局自分で磨ってみないと質のよさが分からないことだ。見ただけで硯の価値を推察するほどの鑑賞眼は自分にはない。

もうひとつの問題は経済だ。本当に良い硯は非常に値が張り、数十万円するものさえある。書道の道具というより骨董品のような希少価値があるものがある。そんなものはたとえ良品ではあっても、自分には不相応だ。

それが分かっただけでも頭を冷やす時間を置いたかいがあった。骨董屋や書道店めぐり(それが好きなのだが)をするより、机に向かい黙々と王羲之の名蹟「蘭亭序」を臨書(真似書き)する方が自分には合っている。それが分かるまで結構高い授業料を払ったものだ。

硯ぐるい
熱が冷めたり
蘭亭序
(1−7−2018)


ロマチェンコーリゴンドー戦 プログラム発送終了

お申込者すべてに発送しました。

18日(月)正午を申し込み締め切りとします。
どうぞよろしく。


訂正  図板

下の文房渉猟#5において訂正。

誤  図番
正  図板

図板というのは、約2センチの厚さ、縦1メートル、横1.5メートルの
木製の板で、機械科の製図室に50名分用意されていた。
そのうち、5名がもう亡くなった。

いまはCAD(Computer Aided Design)の時代で
PCで設計するから、
昔のような形で製図教育をしていないのかもしれない。

一角法、三角法、透視画法などの基本を習った。

絵を描くのもそうだが、白紙になにか書き始め、それが図になり、それを仕上げるのは
結構楽しかった。

いま昨夕の岡山大学の講演のあと一泊し、帰京する帰途、京都と名古屋の中間。
皆さんにご便宜を図っていただき、本当に感謝しています。
(12−7−2017)


文房渉猟 #5 消しゴム

最近、消しゴムに凝っている。それは従来のボールペンより鉛筆、シャープペンシルで書く方が手にやさしい感じがするからだろう。ミスしたところをすぐ消せるのがいい。だから小さな消しゴムが好みだ。

 18歳から20歳の頃、工学部機械科の学生だったから、ときどき窓から六甲の山を見ながら製図室で図面の演習をした。何度も書き直し、ゴムのくずが図番の下にたまった。

 会社に入ってからも、基本的にはシャープペンシルで書類を書き、それをコピーして社内に配った。エンジニア時代も消しゴムをよく使った。

 昔の消しゴムはくずがボロボロ出て、羽毛で図番や机の上をよく掃いた。それが仕事で、これまでとても多くの消しゴムのくずを出してきた。

 ところがプラスチック消しゴムが出てから、机が綺麗になった。くずがばらけず、まとまるので掃除しやすい。

 そうだ、学生時代、アラン・ロブグリエという前衛作家の「消しゴム」という作品があった。読んだような気がするが、もう忘れた。

 製図室で隣の席でいつも一緒に製図していたKという姫路出身の男がいた。方言がきつく、普通に話していてもケンカを売っているような口調だった。あいつにもう一度会いたいな、と思い、同窓会の案内を見たらもう故人になっていた。

 学生の頃、「不条理」ばやりだったから、自分も前衛的な短編小説を書いてみようか、と思った。それは消しゴムにかかわる小話で、ある仕事熱心で凝り性のエンジニアが書いては消し、書いては消している間に、自分自身を消してしまう話だ。

その話を書き終わった小説家はその出来が気に入らず、すべて消してしまったーー消しゴムで。
(12−5−2017)


講演@岡山大学

 早いもので岡山大学の客員教授にしていただいてから10年になる。毎年一度、講演をしているが、今年は12月6日18時40分より、一般公開講座だ。

 ご来聴を歓迎する。
(12月3日)


講演@慶応大学

 11月28日、慶応大学文学部で講演をさせていただいた。「メディアとしての身体」というタイトルでいろんな講師がレクチャーをする。90分の講演だった。毛色が変わっているのと、私のペンネームが故小泉信三塾長の「平生の心がけ」から来ているので、その縁で声がかかったのだろう。

 おかしかったのは、地道に努力することの重要さを私の書道を例として話したいので、空海の「風信帖」を臨書した掛け軸を持参したいという希望を出したところ、教壇に高さ2メートルの掛け軸を吊る装置がないと断られたことだ。代わりにパワーポイントでそれを取り込み、いろいろ昔拙かったのが徐々に進歩する過程を見せた。

 来週は岡山大学で講演があり、来年は大阪の某ロータリークラブで講演をする。講演をすると、聴衆の反応(リアクション)を見ながら、内容をより分かりやすく修正したり、分かりにくいところをとばしたりするので、その状況に応じた流動的な変更が(話し手として)面白い。

 慶応大学の皆さん、便宜を図っていただき感謝しています。
(11−28−2017)


文房渉猟#4 コロンビアの文具店#2

  コロンビアで買った文房具は数点だった。外国へ行くと何か文房具を手に入れ、従来の自分のものと比べ、それを新たなコレクションに加える。コロンビアで、Faber−Castellというドイツのメーカーの品物を求めた。コロンビアはドイツと親交があると、「コロンビアを知るための60章」(明石書店)で旅行の前、予習した。

 消しゴムつきの赤鉛筆(この赤は消える)。0.7ミリのシャープペンシル(握りが3角形で持ちやすい)。ペリカンの消しゴム(ペリカンでも消しゴムを出しているのかと思い購入)。そして鉛筆削り(デザインがいい)。

 最近、ボールペンよりもシャープペンシル、鉛筆、そして消しゴムに凝っている。なぜか? 書いたものを消滅させ白紙に戻せるから。
(11−27−2017)


文房渉猟#3 コロンビアの文具店#1

コロンビアのメデジンはWBA総会出席のために行った。家内とその親友2名の計4名の一行だった。私はヘボ通訳、兼世話係だったが、女性が3人寄るとかしましいというコトワザが実感できた。

 ホテルから車で5分のサンタフェというショッピングモールの地下にスーパーマーケットがあり、その中に大きな文房具コーナーがあった。彼女たちがコロンビア・コーーなどの土産を物色する間、私は文房具を手に取りずっと品定めをしていた。ここは日本製品のテリトリー(販売領域)ではなかった。中南米だけあって色鮮やかな文具が好まれるようだった。
(11−25−2017)


文房渉猟#2 幻想

新しい筆をおろすたびに、「この筆で書くと、これまでとは違う字が書けるのではないか」という淡い幻想を抱く。実際書いてみると、いつもの自分の字と変わりないのだが、どの筆でも最初はそんな幻想が生まれる。

 幻想というものは大事なもので、分別がつくにしたがい、若い頃に浮かんだ幻想がもう見られなくなっている。ところが、筆を手に入れるたびに、いまだに「ひょっとすると・・・」という自分の字に対する変身願望が生まれる。

 最近やっと新しい筆を求める衝動がおさまった。「文房四宝の新品を手に入れるより、墨を磨って字を書けよ」という助言が自分の中に響くからだろう。

 分別くさくなってくると、人生が面白くなくなる。だんだん衝動や無分別が失せていくのが分かるーーそうなっていくことのよさもあるのだが。
(11−23−2017)