ジョー小泉のひとりごと

横浜の中華街で武蔵の鴨図に似た絵を見た

昨日、英国から招請した井上尚弥のスパーリングパートナー2名を、東京見物させ横浜のホテルまで送り届けてから中華街へ回った。行きつけの土産物店があり、その二階には高価な文房四宝(筆墨硯紙)が置いてある。一番高い硯は八十一万円もする。とても買えないが、よい品物を見ておくと眼の保養になる。

そこでは日本の書道店にないものを扱っており、中国製の半紙や練習用紙を求めた。その際、一緒に習っている家内が水墨画の手本集を買った。

ある店で紹興酒を飲みつつその手本集をめくっていて、ひとつの絵を見た瞬間、酔いが醒めるほどの衝撃を受けた。

帰宅して、宮本武蔵の有名な「鴨図」を探し、それと対比した。構図がとてもよく似ている。

「鴨図」には手本があったのかもしれない。それは中国から来たものか、あるいは武蔵の水墨画の師が中国の手本から真似たものであったかもしれない。あくまで推測以外の何物でもないし、武蔵のオリジナル(独創)かもしれない。

書道(中国では書法と呼ぶ)では、王羲之、顔真卿などの古典的手本を臨書(真似書き)することが習練の基本だ。だから、水墨画においてもそのような古典的手本が存在し、その中の鳥の図に首を左に向けた構図のものが多々あったのでは・・・。ふとそんな推測をした。

上が武蔵の鴨図。
下が中国の手本集。
(4−21−2018)


拙作 石鼎の句

原石鼎(はら せきてい)という俳人がいた。
1886年(明治19年)生まれ、1951年(昭和26年)没。
その俳句が結構好きだ。

今月の書道の課題にその句が出た。
ただ半紙に書いて師匠に提出するだけでは惜しく、色紙にも書いた。
その色紙に書く前の練習の拙作がこれである。

石鼎の他の作品には、次のようなものがある。

頂上や 
殊に野菊の
吹かれ居り

大空と
大海の辺に
冬籠る

淋しさに
また銅鑼打つや
鹿火屋守

正岡子規は石鼎を「豪華跌宕 ごうかてっとう」と評したという。
石鼎は客観写生をモットーとした子規、虚子とは次元の違う句を詠んだ。

わが拙き書道と下手の横好きの俳句が
石鼎において結びついた。
(4−10−2018)


巻紙による礼状

大阪北ロータリークラブに招かれ、3月中旬、講演をさせていただいた。
テーマは、「本番で実力を発揮する方法」で私の定番である。
帰京後、同クラブ会長に礼状を出した--巻紙で。
あのB堂の「千草」という名墨を使って。
(4−8−2018)


文房渉猟 #11 墨のはなし

 親というのは子供をよく見ているものだ。「物を集める人間には幼児性がある」と言った。言い得て妙である。

 子供の頃、切手を収集していたが、いずれそれに飽きることになった。本を読むことに凝りだし、切手をシート単位で買うより、文庫本を増やすことの方に興味を覚えたからだ。

 確かにいまだに物を集めることが好きで、自分では「初心」と呼び、それを失わぬよう心がけているがーー。

 文具全般を集めるのに興味を持つが、いま書道の「墨」を例にとってみる。師匠から以前ある墨を頂戴したところ、実におりがよく、書状を筆で書く折り、さっと磨りさっと書ける。その墨で書くとなぜかいい字が書ける。

 こんなに磨り心地のよい墨なら、予備を持ちたいと思い、墨の箱に書いてある奈良の製造元に電話をした。B堂の受付の女性いわく、「その墨は先代が極上のものを作ってみようとした特別の品物で、もう在庫はないと思いますが、倉庫を探してみますので午後にでも電話ください」と。

 再度電話したところ、「在庫が二個だけありましたが、どうされますか?」という。墨というのはそれほど高いものではないのだが、特別品だけにひとつ八千円という。墨にしてはかなり高価だ。

 「その二つともいただきます。送ってもらえますか」といってから、話は複雑になりだした。「個人には直接お売りしないことになっていますので、お近くの書道店経由お申込みください」という。

 奈良のその老舗へ行ってもいい、とまで言ったが、相手側はあくまで書道店を通すよう固執する。「近くの店ならY屋があります」というと、「そことはお取引がありますので、そちらからお申込みください」と言ってから、型番を丁寧に教えてくれた。

 わざわざ墨の申込みに出かけるのは億劫だったが、残り二個というのが圧力となり、Y屋に注文に行った。係員は私の目の前でB堂に電話し、在庫確認をしてから、先払いをするようにいった。一万六千円、プラス消費税だ。

 品物が届くのは早かった。二日後、Y屋から電話があり、品物が入荷したという。その日の午後、すぐ取りに行った。早く所有権の移転をして、自分のものにしたかった。

 早速、その墨を磨ってみると、確かにおりがよい。それは自分にとり、貴重品になった。

 以後、より筆まめになったか? 筆で書簡や巻紙(巻紙を書くのは趣味だが、なかなか書く機会がない)をより多く書くようになったか? 否、何かその墨を見ているだけで気持ちがよく、半紙に書道の課題を書く前、普通の墨を磨っている間、それを眺めている。それだけで書く意欲への刺激になる。

 親父の言った通りだ。自分には妙なガキっぽさがあり、墨そのものを形として所持したい気持ちが強いーー所詮、消耗品なのに。まあ、いずれその墨を使って手紙を書く気持ちになるのだろうが・・・。
(4−7−2018)


春に泳ぐ

水しぶき
立てて帰り路
桜吹雪

水しぶき立てて
帰り道
桜ふぶき

水しぶきも桜吹雪も動きを連想させる名詞である。
ひとつの句の中に、それが二つもあるのはベクトル過剰かもしれない。

春の日の朝、いつも通り、プールへ泳ぎに行った帰り、
往きには気付かなかった
道に散在するの桜吹雪のあとに
春を感じたときの句。

桜吹雪と桜ふぶきの差。
桜吹雪は風を連想させ落ちて飛ぶ桜のイメージが強すぎる。
一方、桜ふぶきは散って地面に広がっている桜の花びらの群れを連想させる。

では、「さくらふぶき」とすべてひらかなにするとどうか。
さくらの樹のイメージはやはり漢字の方がよい。
櫻と字画の多い字を使うと「櫻ふぶき」と書いた短冊が冴えそうな気がする。

旅の途中、「漱石追想」という本を読んでいたら、教え子の寺田寅彦が師を想い、短歌を詠んでいた。
それを読んでいて、ふと詩想がわいた。
(3−30−2018)


わが拙作 水墨画

水墨画 「春蘭」
(3−24−2018)


わが拙作

草書の基本「書譜」の臨書。
(3−18−2018)


追悼 伝説的マッチメーカー コブラ・メンドサ

伝説的マッチメーカー、ラファエル・メンドサ氏が3月8日に亡くなった。享年80。
ニックネームは「コブラ」だった。

彼をモデルに短編小説を書いたことがある。
そのフィクションの部分をFACTに改め、仮名を実名に直した。

たとえば、私自身は「ジョージ」としていたが、これを「ジョー」に改めた。
この短編は拙作のボクシング小説集「天使と少年」に入っている。


コブラ

 男のニックネームは「コブラ」だ。彼はメキシコ人で、ボクシングの国際マッチメーカーだ。その異名は彼の交渉が食いついたら離れないほど執拗なところから来ている。

 コブラはアメリカの大学を出て、「エスト」という新聞のスポーツ記者になった。才気煥発で、筆が立つので人気ライターになった。

 メキシコのボクシングが黄金時代を迎える直前だ。コブラはある時期、有名人になった。当時、国民の八割が見るという視聴率の高いテレビのクイズ番組があった。

 「コブラはいつも俺たちを愚かだ、という。奴がそんなに頭がいいのなら、一度あのクイズ番組に出してやろう」と、周囲が応募をした。

 コブラは冗談半分で出場した。テーマは自分で選べるので、ボクシングの歴史を選択した。
 コブラは九週間勝ち進み、あと一回勝てば記者としての給与の五年分の大金が手に入る。しかし、その最後のクイズでミスをし、賞金を逸した。

 その勝ち上がる九週間、コブラの名前と顔はメキシコ中に知られた。街を歩けば、みんなに声をかけられた。
 「コブラ、ブエナ・スエルテ(幸運を)」と。
(注)Buena suerte!は 英語のGood luck!にあたる。

 最後のクイズのあと、この世界でまるで事実のように流布する有名な伝説が生まれた。
 「コブラはあまりにボクシングの歴史を頭に詰め込んだので、頭がパンクし脳病院に入った」と。
 普段、毒舌でメキシコ・ボクシング界を切りまくっていたので、その仕返しにこんな噂を立てられたのだ。

 コブラは同業のジョーを「日本の弟(エルマーノ)」と呼び、いろんな交渉の技術を助言する。ジョーは例の伝説について訊いたことがある。

 「あれはデマだ。俺が最後のクイズで失敗したので、みんなで俺を笑いものにし、狂人扱いしたんだ。入院などしていない」と、コブラは苦々しく答えた。

 メキシコの記者は薄給で、プロモーターのドン(大物)たちにただ飯、ただ酒、小遣いの饗応を受けるのがつねだった。そして大プロモーターのために提灯(ちょうちん)記事を書く。だが、コブラは「俺は乞食じゃない」とそれを拒否した。だから、あれほど辛らつな記事を書けたのだろう。

 気骨の男、コブラは英語に堪能で事務処理が得意なところから、あるマネジャーに交渉の手伝いを頼まれた。コブラが手がけた荒削りの強打者はウェルター級の世界王座を十度防衛した。米国のプロモーターたちはコブラの仕事の手際のよさに感心した。それ以降、コブラは記者をやめ、口八丁手八丁の国際マッチメーカーとして生きることになった。

 コブラは世界フライ級王座を十四度防衛したミゲル・カント、ライトフライ級で史上初めて百万ドルの報酬を取ったチキタ・ゴンサレスなどのビジネス・マネジャーを務めた。コブラは独特の駆け引きでファイトマネーを目一杯引き上げてきた。その交渉たるや相手が辟易するほど執拗だった。

 あるとき、コブラとジョージが交渉し合って、韓国で世界戦を組んだことがあった。コブラは従弟のティオを同行していた。ティオが言った。

 「コブラは子供の頃からいつもみんなに命令していた。自分は動かず、他人を働かせるんだ。生まれついての指揮官(コマンダンテ)だ」と。

 剃刀(かみそり)のように頭がきれるコブラでもミスをしたことがある。これは韓国においてだ。メキシカンの世界バンタム級王者ビクトル・ナルバエス一行は労働ヴィザ(査証)でなく観光ヴィザで入国していた。

 韓国コミッションは石頭だから、「労働ヴィザに切り替えないと試合を許可しない」と迫った。コブラとジョーは一行を率いて、ソウルの入国管理局へ行った。「労働報酬を得るのは試合地の大邱だから、そこで手続きしてほしい」と突っぱねられた。

 韓国の新幹線にあたる新村(セマウル)列車に乗り、大邱で降り同地の入国管理局へ行った。地方の役所だから非常に時間がかかった。減量のため食事が摂れないラバナレスはもうクタクタだった。

 このラバナレスはメキシコのある部族の出で、そこでは多妻制だ。彼は正妻の外に十六歳の娘を囲っていた。その女が逃げた。世界王者は練習より女を捜すのに懸命だった。メキシコを出る前、決して体調はよくなかった。

 ヴィザの手続きを終えた三日後、ラバナレスは辺丁一に番狂わせの判定負けで王座を失った。
 試合後、コブラは彼を怒鳴りつけた。「女のことばかり考え、試合に集中していなかった。あの女はいまごろ他の男と寝ているぞ。虎の子の世界タイトルを失うなんてお前は愚か者だ」と。

 メキシカンが他人をののしる俗語は多種多様だ。ジョーは側でその羅列を聞いた。「コブラ、奴が負けた原因のひとつはあなたがヴィザ手続きでミスをしたせいもあるだろう」と思った。だが、機関銃のように喋るコブラと口喧嘩して勝てる人間などこの世にいない。コブラは絶対、自分の非を認めない男だ。ジョーは黙っていた。

 コブラはもう七十歳近いが、まだ現役のマッチメーカーだ。しかし、昔の仕事の切れがやや鈍ってきた。頑固すぎて交渉を壊したり、事務処理でミスをすることもある。国際交渉人として好運に恵まれ続け、もうたっぷり財産を残したためだろう。

 あるとき、コブラがジョージに説教した。コブラは他人に訓示をたれるのが趣味なのだ。
 「人間は現実を見なければいけない。俺は自分の娘が可愛い。しかし、娘がミス・ユニバースになるとは思わない。そんな願いをするのは愚かだ」と。

 コブラ、長生きしてわれわれ若輩に説教し続けてください。隠居して自叙伝でも書いたらどうですか。もとは記者でしょう。


文房渉猟 #10 ゴングとベル

10代でアメリカの「リング」誌の日本通信員になりレポートを送ると、いつもどこか直された。
英作文の添削のようなものだ。
「リング」誌をよく読んで自分専用の単語帳、文例集を作り、さらに添削された言葉を書き留めた。それが積み重なって、いまのボキャビュラリーができた。

ボクシングで「ゴング」というが、gongと書くと決まってbellと訂正された。
通常、ボクシングの英語のレポートではbellがほとんどだ。
しかし、日本語では和風英語のように「ゴング」という言葉が通用している。

うちの階段には小さなゴングが置いてある。
2階で仕事をしている私を夕食に呼ぶときに家内が使う。
「あと5分」と上から言うが、下では聞こえていないことがある。
もっと長引くときはLINEの無料電話でそれを伝えることがある。
「あと15分かかる」といった風にーー。

その15分が20分になり、30分になることがある。
折角、温かい食事を出そうとしている家内にすまないが、あと一仕事、ひとメール消化したいときがある。

最近、料理用のタイマーを家内がくれた。
レモンの形をしている。
「あと5分」と言うと、私はこのタイマーを5分にセットする。
ベル(このタイマーはベルの音がする)が鳴ったら、そこで切り上げて下りる。
もっと仕事をしたければ、夕食後、続きをすればいい。

考えてみるとおかしい。
ボクシング会場でゴングの音を聞き、家では家内からゴングを鳴らされ、自分はあと5分のベルを鳴らす。

チャプリンの喜劇で、ゴングが鳴ると、条件反射でリングを走り回るボクサーがいたが、自分がそんなコメディアンになったような気がしないでもない。
(2−23−2018)


水墨画のホリデイ

昨年から家内と一緒に水墨画を習いに通っている。
私の目的は水墨画の余白に自分の字を入れたいという単純なもので、絵だけが狙いではない。

他の人たちが絵を画いているとき、ひとりだけ余白に唐詩を書いていたりする。

最近、蘭の絵ばかり画いている。
「竹半生、蘭一生」といわれるほど、蘭の絵は難しいそうだ。

われわれの水墨画の先生は中国人で、2月は旧正月で帰省するため、クラスが休みだ。
このホリデイの間、何か絵を画こうと思うが、筆を握ると書をかいて絵を画かない。

何かひとつくらいましな作品を画いておかないと、休み中、何をしていたのか、と思われる。

文人の教養とは、「三絶」といって詩、書、画が三位一体になることだという。
まだなかなかだ。
(2−15−2018)