ジョー小泉のひとりごと

文房渉猟 #10 ゴングとベル

10代でアメリカの「リング」誌の日本通信員になりレポートを送ると、いつもどこか直された。
英作文の添削のようなものだ。
「リング」誌をよく読んで自分専用の単語帳、文例集を作り、さらに添削された言葉を書き留めた。それが積み重なって、いまのボキャビュラリーができた。

ボクシングで「ゴング」というが、gongと書くと決まってbellと訂正された。
通常、ボクシングの英語のレポートではbellがほとんどだ。
しかし、日本語では和風英語のように「ゴング」という言葉が通用している。

うちの階段には小さなゴングが置いてある。
2階で仕事をしている私を夕食に呼ぶときに家内が使う。
「あと5分」と上から言うが、下では聞こえていないことがある。
もっと長引くときはLINEの無料電話でそれを伝えることがある。
「あと15分かかる」といった風にーー。

その15分が20分になり、30分になることがある。
折角、温かい食事を出そうとしている家内にすまないが、あと一仕事、ひとメール消化したいときがある。

最近、料理用のタイマーを家内がくれた。
レモンの形をしている。
「あと5分」と言うと、私はこのタイマーを5分にセットする。
ベル(このタイマーはベルの音がする)が鳴ったら、そこで切り上げて下りる。
もっと仕事をしたければ、夕食後、続きをすればいい。

考えてみるとおかしい。
ボクシング会場でゴングの音を聞き、家では家内からゴングを鳴らされ、自分はあと5分のベルを鳴らす。

チャプリンの喜劇で、ゴングが鳴ると、条件反射でリングを走り回るボクサーがいたが、自分がそんなコメディアンになったような気がしないでもない。
(2−23−2018)


水墨画のホリデイ

昨年から家内と一緒に水墨画を習いに通っている。
私の目的は水墨画の余白に自分の字を入れたいという単純なもので、絵だけが狙いではない。

他の人たちが絵を画いているとき、ひとりだけ余白に唐詩を書いていたりする。

最近、蘭の絵ばかり画いている。
「竹半生、蘭一生」といわれるほど、蘭の絵は難しいそうだ。

われわれの水墨画の先生は中国人で、2月は旧正月で帰省するため、クラスが休みだ。
このホリデイの間、何か絵を画こうと思うが、筆を握ると書をかいて絵を画かない。

何かひとつくらいましな作品を画いておかないと、休み中、何をしていたのか、と思われる。

文人の教養とは、「三絶」といって詩、書、画が三位一体になることだという。
まだなかなかだ。
(2−15−2018)


平成30年2月12日は 「書譜」記念日

本当は1月から始めるつもりだったが、草書の「書譜」を2月に入った今日から始めた。
書道を始めたとき、くずし字の世界に足を突っ込むのを控え、できるだけ楷書、行書、隷書までに領域を限っていた。

習い始めて10年を経て、つづけ字、くずし字を読みたいという欲求が出てきた。
そのためには草書を学ばねばならない。

急ぐ必要はない。あせる必要もない。
一字ずつ、なぜこのようにくずすのかを造形的に理解し記憶しつつ前進する。

「書譜」を書き始めたことを徳村先生に書状で書き、日記にも書いた。
一日が終わり、日記を書き、印を押す。

今日という日が、昨日とは違う一日だったことを証(あか)す手段ーーそれが日記だ。
われ生きた。ゆえに日記あり。

今日 = 明日 − 昨日
(2−12−2018)


文房渉猟#9 付箋 その2 英国リーズの付箋

海外旅行をするとき、時間があれば文房具店をのぞく。英語でいうStationary Shopで、商品は日本の品物と大同小異だが、日本製品がどこに行っても売られており、その海外進出力に感心する。

旅から戻ると、買いためた文房具、特にボールペン、シャープペンシルなどを新しい筆立て(ペンスタンド)に入れ、思い出とする。ときに細身のマグカップを筆立て代わりに使うが、国ごとに分離しいわば国別対抗戦にしている。

中国でホテルの真ん前にデパートがあり、その地下の階に文具店コーナーがあった。よく海外の文房具にMade in Chinaと表記されていることがあり、下請けとしての技術力はかなり進歩しているようだ。ボールペンや鉛筆のデザインはいまひとつだが、書き味は悪くなかった。

ドイツに行ったとき、STAEDTLERのような有名なメーカーがあるので高品質の文具があるか、と期待していたが、BICなどの日本製品が約半数を占めており落胆した。ただしSTAEDTLERの製図用シャープペンシルは硬質な重量感があり、個人的には好きだ。

英国のリーズに天笠、ウォリントン戦のマッチメークで行ったとき、さすが学術都市なので大きな文具店があった。いろんな種類の文具があり、いろいろ手にとってみた。付箋にも日本にはないようなデサインのものがあり、数種類求めた。

その中にとんがり帽子のような三角形の付箋があり、それを求めた。書斎の机の端におくだけで、置物のような感じがしてなかなかいい。

ずっと付箋の裏を見なかったが、今回見てみると、SUCK UKという英国のメーカー品で、製作は中国だ。おもしろいことにデザイナーの名前が印刷されていて、Yuri Naruse and Jun Inokumaとあるから日本人だろう。まさに国際商品でinternational collaboration(国際協力の産物)だ。

このとんがり帽の付箋はページ・マーカー(Page Marker)と呼ばれるらしい。メーカーのサイトwww.suck.uk.com を引いてみると、この付箋には黄色だけでなく他のいろんな色のものがあるようだ。

文房具の収集に凝りだすときりがない。その世界は底なし沼のように奥が深い。だけどやめられないのは、字や絵をかくのが根っから好きなのだろう。
(2-7-2018)


文房渉猟#8 付箋 その1 自分専用の付箋作り

付箋(ふせん)を最近では商品名でポストイットパッドというが、長ったらしくて言いにくい。一方、付箋という言葉は古めかしい。付箋は栞(しおり)とは違うし、見出しとも違う。話の中でそれが出てくると、「あの付箋、つまりポストイットパッドですが」と言い換えて話を進める。

それは私がマッチメークのEメールで、research/investigateとか、prove/verifyとか言い換えるのに似ている。査証(ビザ)申請の説明をするとき、身元の調査/審査をするというとき、researchでは弱いし、investigateは厳しすぎるように感じるとき、この種の言い換えを私はする。相手の英語力、語彙に信頼が持てないとき、誤解を防ぐためだが、相手からするとくどいな、と思われているかもしれない。

森鴎外は読書家で、その書斎におさめた本は読んだ跡(あと)として、付箋がはさんであったそうだ。付箋、あるいはアンダーラインというのは書籍を自分用にカスタマイズ(専用化)する手段だ。

こんなことがあった。悪い思い出である。キューバ出身の渡り鳥ボクサー、マヌエル・アルメンテロスについて拙文を書いたとき、ボクシング雑誌のバックナンバーをひもとき、再び見返すときのため付箋を貼った。再読の際、付箋ののりしろが大きいので文章を読むためにはがした。その瞬間、私にとり貴重な文献が破れた。その原因は、(1)付箋の粘着力が強すぎたこと、(2)付箋が大きすぎ、再読のためそれを一旦はがさねばならなかったこと、である。

文房具愛好家だから、外へ出るたびに文具店、コンビニで新しい文具をチェックする。私は非常に文具の好みがうるさい。自分用の文具を厳選するが、用途にぴったりの商品がなかなか見つからない。

付箋に関しては、大体大きすぎ、粘着力が強すぎる。そこで、自問自答した。「どんな大きさの付箋が欲しいのだ?」と。

つまり、自分で自分用の付箋を作る/加工することにした。

「もう君には頼まない」(城山三郎)
君とは文房具メーカーのことだ。
「だから私は決めた」(茨木のり子)
自分の文具は自分で加工することにーー。

昭和9年(1934年;東京五輪の30年前)の「拳闘」誌に付箋を貼ったとき、付箋のサイズが大きいので、いろいろ書いてしまった。付箋にこのようにゴテゴテ書くものではない。それはセンスが悪いし、すべての付箋に細かく書いていると時間がかかる。付箋にそんなに時間をかけるより、もっと数多くの本/資料を読むべきだ。

自分用の/カスタマイズされた、付箋が出来上がった。38ミリ×50ミリが2つ入ったスリーエムジャパン社の付箋の上に、溶断(溶接のバーナーで鉄板を切る)の前の下絵のように寸法を鉛筆で描いた。50ミリを半分にカットする。38ミリの4分の1を裁断する。

出来あがったのが、「28.5ミリ×25ミリ」の小型付箋だ。これなら、当時の酸性紙の紙に貼っても、余白におさまる。さらに、再読の際、貼り替える必要がなく、紙を傷めない。

今後、付箋は好みの大きさに自分で作ろう。付箋の大きさを変える――単行本、文庫、新書、選書ごとに。私には鋭利な大型カッターがあるので、付箋のカット、また楽しからずや。

将来、私の書庫を後世の人が見る機会があれば、「凝った付箋をいろいろ使っていたんだな」と笑うかもしれない。

専用の付箋
いつまで加工しているんだ
本を読めよ

付箋でき
その疲れで
昼寝する(本を読まずに)

小さな付箋
大きな付箋あり
カスタマイズ

森鴎外
アルメンテロス
ジョー小泉
(2−3−2018)


SILVER LINING

昨日、FIGHTNEWSへの英文レポートを書く前、落ちを想定していた。

「SILVER LINING」で締めくくる。
これは「逆境の中での希望の光、明るい見通し」のことだ。

以前、洋書を辞書を引きながら読んでいて、この言葉に遭遇し、自分が書く英文にいつか使おうとストックしていた。こういった落ち用の決め言葉の保管がいくつかある。

時が来た。
「SILVER LINGING」で下げる文章を書く機会がーー。


https://fightnews.com/unbeaten-wbc-112lb-champ-higa-defend-fuentes/13145#more-13145


今回のレポート書きについては、おもしろい余談があるので、それはBFC(ボクシング・ファン・クラブ)のメールにて会員に送ります。
(2−3−2018)


I ALSO SWIM TODAY

「The Sun Also Rises 陽はまた昇る」をもじって「我今日もまた泳ぐ」とした。

1年365日のうち、約150日は泳いで数十年になる。元気なのは水泳と散歩のせいだろう。

プールがすいているときは気持ちがいい。特にすいているのは、台風、雨、雪の日だ。

先日、雪が降りかけた日も顔見知りの常連スイマーたちは来ていた。あれは一種の惰性なのだろうーー私もそうなのだが。

水泳と排尿量の増加には関連がある、と「人間はどこまで耐えられるのか」という本に説明してある(86頁)。

私の水泳好きにはもうひとつ理由がある。それは書道の縦の線を真っ直ぐ引くためだ。水中で背骨を真っ直ぐ伸ばし、その姿勢を保つ。それが縦線をゆがまずに引くのに効果がある。

旅行などで泳ぐことから離れると、字がゆがむような気がする。
ということは、一生泳ぎ続けないといけないということか。
I also swim today.
(1−29−2018)


文房渉猟#7 硯の迷宮 その2

なぜ硯が割れたのだろう?
多分、乾燥のためだ。長く骨董店にたなざらしになっていたため乾燥し、宅配便で東京に輸送される過程でちょっとした衝撃でも割れたのではないか。

硯に乾燥は禁物だ。数あるわが硯をローテーションで使い、石に水分を吸収させないといけない。そう考え、ひとつずつ水分補給がてら使い出した。三十数個あるので、毎日変えても一ヵ月以上かかる。

妙なことが起こった。
以前、購入後ちょっと使って「これは駄目だ。あまりいい硯でない」と見捨てた硯が久しぶりに磨ってみると非常に墨のおりがよい。数日間、別の墨で磨ってみたが、やはりこれはいい品物だ。

こんなことがあるのか。
これは駄馬だと見捨てた馬が実は駿馬だったということがーー。
物の品定めというのはあまり安直に決めつけるものではない。
人の評価もそうかもしれない--。
(1−18−2018)


私の「蘭亭序」

毎日、毎日、少しずつ努力し積み重ねていけば向上する。

書道でも、語学でもーー。

それを実証していくのが生きる喜び。

生きるというのはつねに自分との闘い。

(1−16−2018)


文房渉猟 #6  硯の迷宮

硯(すずり)の話をしだすと長くなる。
あれは数年前、神戸の北野町の中華料理店でのことだ。私はマッチメークの仕事、家内は自分の母親の見舞いで、三ノ宮で合流し東天閣まで歩いた。坂をもっと上がると異人館があるが、その途中にある老舗の店だ。

そこで言った。
「神戸は華僑の住む街で、その子孫たちは先代、先々代の文房四宝の価値が分からずに処分し、骨董店に結構いい品物があるかもしれない」と。

その昼食後、近くにある骨董店で訊いたところ、「うちにはないけれど、あそこの店なら硯なんか書道の道具置いてあるかも・・・」と別の店を紹介された。

やはりあった。中国、台湾からの旅行者もときに買いに来るという。なかなか良い品物があり、硯を二面求めた。それを持って帰ればいいのに、重いものを持って移動するのを厭(いと)い宅配便で送った。

粒状のエアの緩衝材で厚く梱包してもらったが、自宅に届いたとき、一方が割れていた。宅配便会社に報告すると、「同等の値段の品物で領収書があれば、その分弁償します」と言われた。

ひと月後、また関西へ出張した折り、その骨董店に寄り、同価格の硯を求め、それは弁償用とし、別に傍らにあったかなり高価な硯も購入した。端渓の硯で、この前見たとき非常に良い品のような雰囲気を感じた。今度は重くても自分の手で持ち帰った。

その高い方の硯は逸品だった。墨を磨るとまるで大根おろしのようにサクサクと墨がおりる。これまで使ってきた硯とまったく違う。それで磨った墨は粒子が細かく色がいいような感じがした。

それ以降、他にもこんな良い硯がないか、と機会があるたびに硯の収集を増やしていった。数年間で三十二の硯が集まったが、それを増やしていくのにずいぶん選ぶ時間と金をかけた。北京の有名店、栄宝斎まで足をのばしたことさえある。わがコレクションの中で特別良い硯は二つだけだ。他のも悪くはないが、まあ並みの品だ。

あるとき、書道店に寄って他の品物を求めたとき、つい衝動的にまた新しい硯を買ってしまった。「こんなことをしていると、家中、硯だらけになる」と、自分の自制力のなさに怖さを覚えた。

そこで、自分の衝動買いにくさびを打つため、文房四宝、特に硯を主題とした本をAMAZONに十冊注文した。「すべて読み切り、文房四宝の知識をもっと身につけるまで硯を増やすのは一時やめよう」と自分自身に言い聞かせた。

この方法は結構有効で、その十冊を読み終わる頃には、わが硯収集熱がちょっと冷めだしていた。収集対象として難しいのは、硯は見ただけでは良否が判じえず、結局自分で磨ってみないと質のよさが分からないことだ。見ただけで硯の価値を推察するほどの鑑賞眼は自分にはない。

もうひとつの問題は経済だ。本当に良い硯は非常に値が張り、数十万円するものさえある。書道の道具というより骨董品のような希少価値があるものがある。そんなものはたとえ良品ではあっても、自分には不相応だ。

それが分かっただけでも頭を冷やす時間を置いたかいがあった。骨董屋や書道店めぐり(それが好きなのだが)をするより、机に向かい黙々と王羲之の名蹟「蘭亭序」を臨書(真似書き)する方が自分には合っている。それが分かるまで結構高い授業料を払ったものだ。

硯ぐるい
熱が冷めたり
蘭亭序
(1−7−2018)