ジョー小泉のひとりごと

ミッション・インポシブルを見る

封切り日、「ミッション・インポシブル フォールアウト」を見た。
4時までに仕事が片付けば、と家内と約束し、午前中からピッチを上げ、ギリギリで仕上げて飛び出した。

ときどき映画のパンフレットへの寄稿を頼まれるので、定期的に映画を見て、パンフレットの内容を読むようにしている。
「自分ならどう書くか」と頭の中で仮の原稿をデッサンする。

見ているあいだは、ハラハラ、ドキドキしてーーしかも3時間弱ぶっ通し――終わって映画館を出ると、印象が消えてしまう。

まるで映画の中の最初の指令のようだ。
「この命令は自動的に消滅する・・・」
(8−5−2018)


マイキー・ガルシア、イースター統一戦プログラム到着

新しいプログラムが到着しましたのでお知らせします。

7月28日 ロサンゼルス

世界ライト級王座統一戦

WBC王者 マイキー・ガルシア(38戦全勝30KO)
vs.
IBF王者 ロバート・イースター(21戦全勝14KO)

価格:4,000円(送料込み)

※注:リング・ジャパン・クラブ会員、速報メール会員は割引価格3,600円(送料含む)

リング・ジャパン プログラム係

くわしくは HOMEPAGEをご覧ください。
写真をクリックするとHPにジャンプします。
(7−27−2018)


次の美術展は石巻市

美術展の東京開催は終わり、次は石巻市開催になる。
時間があれば、それを見にいくかもしれない。

それとも次の作品を書く/画く方が時間の有効活用になるかな?
(7−21−2018)


美術展は今日まで

文化人・芸能人の多才な美術展2018
@O美術館 @大崎
は今日までです。
(7−18−2018)


文化人・芸能人の多才な美術展 2018

文化人・芸能人の多才な美術展 2018
@東京 O(オー)美術館 7月13日(金)から18日(水)
@石巻市 石巻市指定文化財 旧観慶丸商店 8月6日(月)から26日(日)

聞いたことがありませんか?

政治家、スポーツ選手、作家、芸能人などが
余技としての油絵、日本画、水墨画、書道などを
披露する展示会で、安倍総理などが出品しているそうです。


私など下手の横好きの素人なのに
縁あって
書道の拙作を出品することになりました。

お時間がありましたら、どうぞご一覧ください。


杜甫の絶句

一日おきに水泳を続けて長い。
朝泳ぐと、頭がクリアになり、一日中、体調がよい。
今朝、泳いでいたら、どうも気にかかることがある。
昨日のぞいた古書店でその本を買うか否か迷い、結局別の本を求めて出たのだが、それが急に欲しくなった。

プールへは自転車の負荷を上げ坂道を漕いで行く。
帰途、その古本屋へ直行してもいいのだが、一旦帰宅し、バッグを置き、在庫確認をしてからの方が合理的だろう。

「入口の外の左側の棚の下の段に、漢詩辞典という割と厚い、背表紙が黄色の本を見かけたのですが、まだありますか?」

本が売れない時代だから、書店の店員はたいがい親切だ。
電話を受けた若い店員はすぐ探してくれて、その大修館の「漢詩名句辞典」は在庫がある、と答えた。

「今日中に取りに行きますから、取り置きしてくれますか」とこちらの携帯番号を伝えようとすると、「ちょっと待ってください」と言って、店主と話している様子だ。

「申し訳ありませんが、外に出している本は特別ディスカウント品ですので、取り置きはしないことになっています」と杓子定規なことを言う。

朝から水泳をしてとても腹が減っている。
運動後一時間以内に、栄養摂取すると吸収がよく疲労回復に効果がある、と聞いた。
いつもそうしているのだが、遅れて行くとその本が売り切れてしまうような危惧がした。

車で五分、自転車で十分の距離だが、ちょっとでも早く着きたくて、家内を乗せて飛び出した。
駐車場に入れている間に売却済みになる可能性がなきにしもあらずーー。

よかった。まだ売れ残っていて、早速それを求めた。
帰りは家内に運転してもらい、早速後ろの席で読み始めた。

最近、水墨画の上に配置するため、ある漢詩を何度も書いている。


江碧鳥愈白

山青花燃欲

今春看又過

何日是帰年


江碧(みどり)にして鳥いよいよ白し
山青くして花燃えんと欲す
今春みすみす又過ぐ
いずれの日かこれ帰年ならんや


錦江の水は深緑で、その上を飛ぶ鳥はますます白く映る
山は青く、花は燃えるように赤い
今年の春もまた無為に過ぎていく
一体いつになったら青雲の志を果たし帰郷できることか


最後の一行を唐詩選は「わがふるさとへ帰るのは、いつのことであろうか」と解釈しているが、“帰郷”とは親戚縁者に晴れなる姿を披露する意味がかくされているのではないか。
こんな放浪の詩人(杜甫)のままでは故郷に錦を飾れない、と解した。

漢詩を暗誦するのは、水墨画に賛(添え書き)を入れるときに重要になってくる。
どうしても傍らの文を横目で見たくなる。
それは誤字を書くことへの惧れのためで、もし漢詩を暗記していれば、よそ見をせずに書き進められる。

筆の流れ、字の配置に注意を集中できて、よりよい賛が書ける。よい字を書くために暗記が大事なのは、音楽家の暗譜にも通じるのだろう。

電車の中で、窓から外を見ながら、漢詩を暗誦するーーまた楽しからずや。

(注)
写真の左は王羲之の筆跡で杜甫の詩を集字したもので、中国はこの種の拡大、縮小技術が伝統的に進んでいる。右は拙いわが臨書。いろんな大きさで相似形を書いている。
下は暗記のために原稿用紙にその漢詩を何度でも憶えるまで書く練習だ。
言葉を記憶するには手で書くのがいい。
(6−23−2018)


李思訓碑の臨書 その2

ある展示会に水墨画に漢詩を書いたものを出すことになり、少し練習している。

縦長の画仙紙において
上 漢詩
中 春蘭
下 山石(岩の上に蘭の花が咲いている構図)

を配置し、おのおのを個別に練習し、清書するときに三者を合体しようという心づもりだ。

北京を訪れたとき、有名な漢詩を王羲之の筆跡で集字した本を求めた。
それを手本にして、王羲之の字を李ようの字に置き換えてみよう、と考えた。
この本の王羲之は細くて優美にすぎる。だから、雄渾な李ようの字を水墨画の上に配置したい。

そのためには、李ようの字をもっと書き慣れねばならない。
というわけで、最近、李ようの「李思訓碑」を臨書することが多い。
なかなか巧く書けないのだが・・・。
(6−19−2018)


世界戦プログラム到着

金曜に、ジェフ・ホーン対テレンス・クロフォード戦のプログラムが届き、日曜の朝、レオ・サンタ・クルス対アブネル・マレス再戦のプログラムが着いた。

時差の関係で、午後には結果が出る。
それまでに、プログラムを全頁読み終えておこう。

長く英文レポーターをしているので、ボクシング関連用語はたいがい頭に入っているが、ときにプログラムの中に知らない言葉が現れる。

そこで辞書を引く。
その単語の余白に、引いた日のDateをメモしてその単語との出会い(encounter)の軌跡を残す。
たとえば、6/16/18とか。
余白がない場合、6/18と鉛筆で辞書に書きこむ。

最近、辞書の引き方を変えて、ある単語を引いたとき、見開き両頁にすべて目を通すようにしている。まず以前、アンダーラインを引いた単語。これを見直す(glance)することで、再記憶。

その他、両頁のすべての単語をざっと読んでいく。

すべての単語についてそうしているわけではなく、これは将来、使えるな、あるいは今後頻出してきそうだな、と思う言葉だけだ。

「引いたからには使おう」と思う単語は、ひとつの辞書だけでなく、他の辞書も引く。

Genius 5(常用)
新英和大辞典(研究社)
英和活用字典(例文が多い)

英英辞典を引くと、英和辞典以上に言葉のニュアンスが分かる。

Concise Oxford Dictionary(COD)
Random House Dictionary

Collins Pocket Dictionary
(小さい英英辞典は、関連語が小スペースに詰め込んで記述されているので簡便)

要は、多くの例文に目を通し、その例文を憶え込もうとしている。
例文あってこそ、辞書だ。

「そんな辞書の引き方をしていると、時間がかかるだろう?」

ひとつの単語捜索に1時間ほどかかることがある。

日本人にとり英語とは外国語だ。
それを使いこなすには、やはり障害を乗り越えねばならない。

ある特定の単語について、その辞書の引き方の面白さを説明したいが、それはまたこの次。

ボクシングのプログラムからでもVocaburaryは増やせる。
(6−16−2018)


李思訓碑の臨書

本を読んでいてある字を見て驚いた。こんな力強い、いい字があるのか!

驚嘆した途端、ぜひ自分で臨書(真似書き)したくなった。

約百二十字もある。「李思訓碑」という唐代中期の作品だ。
作者は李ようというが、「よう」の字が日本にはなさそうだ(少なくとも当用漢字には)。

午後から書き始めて最後の二十四字になったとき、夜の十二時前だった。
手本の最後の一頁は明日にするか。
というのは、バイオリズムを大事にしていて、出来るだけ十二時を過ぎて寝ないようにしているからだ。

最後の二十四字をいま書かないと、多分ウィークデイは忙殺され、書き切るのは次の土曜、日曜になるだろう。

墨も残っているし、筆も滑っている。
書くべし。書くべし。書くべし。

書き切った。
そして今日、A4のスキャナーで複写した。全部で半紙十九枚。
昨夜、疲れたが、達成感が残った。
それは快い疲労だった。
(6−11−2018)


水墨画の山石

昨年一月から水墨画を習い出し週に一度は教室に通っている。今月でちょうど一年半だ。中国の文人墨客で漢詩をつくり、書と画をかく人を「三絶」と呼ぶ。漢詩は中国語の韻を踏まねばならず、かなり難しそうだが、書と画は拙いなりに何とかなりそうだ。

先生は中国の人だが、なかなか口がわるい。手持ちの水墨画の自習書を持って行ったとき、「やはり日本人が画いた水墨画だから、あまり巧くない」といわれた。折角、直に習いに来ているのだから、こんなものを見せないようにという一種の暗示なのだろう。以後、その手の本を持っていくのを控えた。

元々、水墨画の余白に書道の言葉をかこうと思っていた。書道では書聖王羲之の古典的名蹟「蘭亭序」のような確固たる手本があり、初心者から師範格までつねに基本にもどるべく臨書(真似書き)をする。それに相当する水墨画の手本はないのか。それを教室に持って行っても先生が気分を悪くしないようなーー。

中国に「芥子園 かいしえん」という水墨画の古典的テキストがあることを知った。次に北京の中国書店に行ったときに買おうと思っていたら、偶然ある最寄り駅近くの古書店でそれを見かけた。全十三巻で、各千円だった。

水墨画の主たる画題に「四君子」というものがあり、それは蘭、竹、梅、菊だ。おのおの独立した教習書になっている。それをまず求めた。ただし、菊の本は残っていなかった。次に、山石と樹木の巻を加え、計五冊求めた。ついでに一九八三年の「宮本武蔵の生涯展」の水墨画集も併せ購入した。

最近、先生に蘭が咲く土台の山石が丸いと指摘された。「山石はもっとごつごつ画かないといけません」と見本を示してくれた。なるほど中国は岩山が多いためか、先生は角ばった感じのする山石をたくみに画く。

芥子園の山石編を求めた次の週、それを最初の頁から数枚画き、テキストと一緒に先生に見せた。「ああ、よくこの本を手に入れましたね。私も最初の頃、この本で勉強しましたよ」といって、懐かしそうに頁を繰る。この本は教室に持ってきてもいいというお墨付きをもらった、と感じた。

同じ教室に通う私より年配の女性が妙にその芥子園の教本に興味を示し、「それはどこで買ったの」と訊く。それを教えてから一週間、帰途その古書店に立ち寄ったとき、芥子園の残りの巻はすべて売り切れていた。多分、彼女が買い占めたのだろう。

そのとき、芥子園が置いてあった水墨画などの棚に一九八九年の「季刊 墨」の「台北・故宮博物院の書」という一冊があるのに目が留まった。同博物館の展示品一般の本は持っているし、「ふたつの故宮博物院」も読んだが、書道に限定した本を見るのは初めてだったので、それを買って出た。

その約三十年前の「季刊 墨」にある本の広告が出ていて、それこそは「こんな本がないかな」と考えていたものだった。それは広い中国のどの街にどんな書道家が関連し、どんな遺跡や作品が残っているかを探し巡った紀行文で、約三十年前の本だった。

苦労して手に入れ、それを読み終えた。それは期待通りの自分にとって待望していた内容の本だった。私は特別に気に入った本だけに蔵書印を押す。そんな本は年間二百冊ほど手にとって一冊あるか否かだが、この本は蔵書印を押す価値がある。それはある書道専門誌に一九八〇年から三年間連載されたものを集約した労作だ。

私の仕事は旅をともなう。いつか中国を再訪した折り、この中のいくつかの街をたずねてみよう。そう空想すると幸せな気分になった。
(6−3−2018)